私の年賀状37年史
モデル兼 カメラマン兼 照明係を続けています。
喪中で受け取らなかった年も、こんな写真年賀が配られていました。

 


 1997年 父島


 もはや日本国内は行くところがなくなっていたのかもしれません。苦しまぎれで選んだ地は、 東京都小笠原村の父島です。翌年からは年賀状に「海外シリーズ」が登場し、いわば最後の 国内旅行編になってしまいました。
 竹柴桟橋から1昼夜以上も船内に閉じこめられ、着いたとたんに台風が大接近。1泊だけし て東京にとんぼ返りする羽目に陥ってしまいました。向こうで出来た仲間たちと、真っ昼間か ら樹氷を飲んでの宴会だけが、記憶にも、写真にも残る唯一の思い出となってしまいました。
 この年からはパソコンを使っての編集作業。やたらに飾り文字やフォントを使用して、ゴチャ ゴチャになってしまいました。やはりシンプル・イズ・ベスト。あくまでも写真で訴えることを認識 させられました。

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